ネパール・エベレスト街道トレッキング体験記

1.プロローグ

機会あればヒマラヤの白い峰々を見てみたいと思っていた。山好きにとってヒマヤラは憧れの山々である。 これまで長期休暇の取得は、なんか難しいものがあり行くことが出来なかったが、今回ようやくその機会が訪れた。永年勤めたサラリーマンの身分を捨てることに決め、退職のリフレシュ休暇を取ったのだ。

旅行期間を11月末からとし、山渓のトレッキング広告を参考にツアー選定を始めた。 期間は最大3週間、費用は50万以内、目的地はネパールでヒマラヤ山脈が見れればどこでもいい。 11月末からクリスマス前までのトレッキングツアーは、こんな時休める俺みたい奴が少ないせいか、ツアー不成立がほとんどだった。 だが天は我を見捨てず、今回の某A社ツアーがようやく6名参加で成立と相成った。ツアー名はエベレスト・ビスターリ・トレッキング15日間である。

海外旅行はこれまで仕事で北米に4回あるが、仕事外そしてアジアは初めてだ。
なにを持って行くべきか、あれこれ悩み、新しい軽い靴、軽いレンズ等をこれを機会にと買い込み、ようやく最終パッキングが終わった12月1日にはすっかり疲れ果てていた。
さぁ明日出発だ!  長年の念願 ヒマラヤの雄姿をみるのだ。   

2.トレッキングツアー概要

(1)メンバー(7名)
    ・石部ツアーリーダー  リーダー歴7年 ハンサム独身青年
    ・杉岡氏        最高齢70才? アンナプルナに続いて2回目
                カトマンズの雑踏が大好きな元気兄さん
    ・田中夫妻       ランタン、アンナプルナに続いて3回目
                山岳写真と百名山が趣味の60台円熟夫婦
    ・成宮夫妻       トレッキングは初めての40台後半の仲良し夫婦
    ・なんど        退職記念に初めての海外トレッキング

(2)サポート隊(10名+牛4頭)
    ・サーダー  ペムバ
    ・シェルパ  ゾンバ、ソナム、カルマ
    ・コック   アンジ
    ・キッチンボーイ  4人
    ・牛使い   ゾッキョじいさん
     
(3)日程
    12/02    成田→バンコク
    12/03    バンコク→カトマンズ(標高約1400m)
    12/04    カトマンズ→ルクラ(標高約2800m)
    12/05    ルクラ→モンジョ(標高約2800m)
    12/06    モンジョ→ナムチェバザール(標高約3400m)
    12/07    ナムチェバザール→キャンヅマ(標高約3600m)
    12/08    キャンヅマ→タンボチェ(標高約3900m)
    12/09    タンボチェ→パンボチェ(標高約4000m)→タンボチェ
    12/10    タンボチェ→クムジュン(標高約3800m)
    12/11    クムジュン→ナムチェバザール→トクトク(標高約2700m)
    12/12    トクトク→ルクラ(標高約2800m)
    12/13    ルクラ→カトマンズ(標高約1400m)
    12/14    カトマンズ観光
    12/15〜16  カトマンズ→バンコク→成田 

特記 このコースの適期は10月から11月内、4月から5月が暖かくいいらしい。
   12月から2月はかなり寒くなるので防寒装備が要。
   今回の日程はピークシーズンの10〜11月と年末年始&クリスマス休暇の間であったため、
   トレッカーは少なく、ロッジはほぼ貸し切り状態であった。 静かで暖かい適期はGWあけ
   がお薦めらしい。
    
(4)トレッキング装備&持ち物

    1)貴重品・常時携帯品類
       金(16,000円、100ドル、500ドルTC)
       旅資料(旅のしおり、地図、ネパールガイドブック) 
       コンパス、筆記用具、スケッチ用具、眼鏡、サングラス
       カメラ(43mmf1.9)、フィルム20本、予備電池類
       MD(MD4本)、時計、喫煙類、双眼鏡、洗面用具
       薬(風邪、トローチ、胃腸、痛み止め、日焼け防止、リップ保護)
       タオル、手ぬぐい

    2)服装・履き物類
       日除け帽子、目出帽、Tシャツ(3)、耐寒長袖下着(2)、上フリース、
       冬用カッターシャツ、羽毛服、ブリーフ(6)、パンツ、厚手パンツ、
       フリースパンツ、フリース手袋、純毛手袋、ロングスパッツ、
       靴下(4)、ロング靴下(4)、ゴア上下雨具、傘
       トレッキング靴(ゴアナイロン軽量靴)
       ジョギングシューズ

    3)その他携行品
       ウエストバッグ、小型ザック(35L)、大型ザック(70L)
       スポーツバッグ、水筒(1Lペットボトル)、テルモス(0.5L)
       カップ、ナイフスプーン、ヘッドランプ、ストック、
       嗜好品(味噌汁、醤油)、ザックジッパー用鍵(3)
  

    今後への特記
     ・金は日本円で2万円、米ドルで200ドルで十分だった。TCは不要だろう。
     ・タオルと帽子で保護したので、日焼け止めは使わなかった。
     ・今回は寒くて汗をあまりかかなかったので、山中の着替えはしなかった。
      よって、下着の換えはもっと少なくてもいい。
     ・フリースパンツは不要だった。

 (5)トレッキング諸経費
    1)事前経費
      ・ツアー料金    342,000円
      ・ビザ手数料     4,200円
      ・ネパールビザ代   4,000円
      ・成田空港使用料   2,040円
      ・旅行傷害保険   13,760円
      ・健康調査料    10,500円(東京医科大病院)
         合計 376,500円

    2)旅行中経費
      2日 成田免税品  ウイスキー38,00円、煙草1,500円 
         バンコク夕食 30ドル、500円
         チップ    100円
      3日 バンコク空港使用料 1,700円(500バーツ相当)
         <換金TC100ドル→6,772ルピー>
         ミネラル水 12ルピー
         夕食 310ルピー、枕チップ10ルピー、他チップ5ルピー
         ネパール空港使用料&出国税 1130ルピー
      5日 お茶20ルピー
      6日 エアメール切手12ルピー、ゴンパ拝観5ルピー
      8日 トイレ紙60ルピー、ゴンパ拝観3ルピ
     10日 お茶20ルピー
     11日 お茶20ルピー
     12日 缶ビール100ルピー、どぶろく10ルピー
     13日 ランチ340ルピー、夕食950ルピー、タクシー割勘40ルピー
     14日 半日観光タクシー割勘300ルピー(トータル800ルピー)
         ランチ0ルピー(田中夫妻のおごり)
         夕食 1,000円+5ルピー、ミネラル水14ルピー
         リキシャ割勘20ルピー、枕チップ20ルピー(2夜分)
         ネパールおみやげ代
          パタン付近のみやげ店 1252ルピー(ポシェット、布)
          タメル地区みやげ店  1700ルピー(茶、香辛料、シェード)
          ホテル付近みやげ店   22ドル (Tシャツ5)
          ホテル内みやげ店    250ルピー(バッグ)
                       4ドル (Tシャツ1)
     15日 国際電話24ドル、夕食 6ドル+950円
         バンコクおみやげ代
          お菓子  4,060円 
          免税煙草 1,080円
     旅行中経費合計  13,590円、86ドル、6607ルピー


3.体験メモ&スケッチ


12月02日 成田→バンコク

遠足の前の小学生のように、途中2回ほど起きては寝て、カミサンと630に家を出た。
旧道をとおり空港駐車場には740に着いた。集合時間の830まで待ちである。

830チェックインカウンターで同行の石部ツアーリーダー、田中夫妻、成宮夫妻にあいさつ。 杉岡氏は関空経由でバンコクから合流するらしい。 荷物をリーダーに渡してし まえば搭乗手続き等はすべてリーダーがやってくれるので大変楽である。

出国手続きにはいる前に見送りに来てくれた滑川氏、澤村氏、カミサンとコヒー歓談する。 滑川氏のみやげ希望はネパール茶である。

1113に離陸。機内はほぼ満席。タイ航空は初めてだ。機内は禁煙。89年までは喫煙席が
有ったのに世の中厳しくなったものだ。 すぐランチ、初めてタイの缶ビールを飲む。

隣の席のスーツ姿のビジネスマン風男性に話しかける。 彼はバンコク、ドバイ経由でケニヤまで行くらしい。 ケニアでのダム建設工事でのコンクリート調合コンサルタントの仕事で3週間の予定とか。 当方も以前コンクリート減水剤の研究に携わったことから、話が弾んだ。 

1440 台湾の最南端の半島を横断。 1645 初めてのアジア大陸が眼下に見える。
茶色の大河がくねくねと流れている。 ラオス上空からのメコン川と推定した。
1740 バンコク空港に着陸。 陽光、赤い花、南国だ。 ケニアへのビジネスマン
(柴田氏)に仕事の成功のエールを送り、見送った。ここで、関空からの杉岡氏と合流。

今晩は空港近くのホテル(コンフォートホテルバンコクエアポート)に宿泊。
夕食はバンコク市内の中華料理店。 今回のメンバーの自己紹介を行う。
田中夫妻は3回目のトレッキングそして日本百名山が約90座とか。 
杉岡氏も今年4月以来の2回目。 私と成宮夫妻が初めてである。


12月03日 バンコク→カトマンズ

1030発タイ航空でカトマンズに向かう。 機内からヒマラヤ山脈が見えた。
急傾斜な斜面にも棚田状の耕地が広がっている。 山地をくまなく農地として
活用している様は驚愕である。

カトマンズ空港には1230着陸。バンコク空港に比べたら、月とスッポンのような
質素な空港である。 20年以上前の世界にタイムスリップしたような感覚に
おちいる。 空港外には観光客の荷物を運んでチップをもらおうとする人々が
我々を待ちかまえていた。 迫力有る視線。 少年も多い。 かまわず現地
エージェント(タイガーマウンテントラベル)のバスに乗り込んだ。 

バスから見たカトマンズはまるで昭和20〜30年代の東京的。 バラック
建築、人が多数路上にたむろし、オンボロ車がクラクションをがなり立てながら
排気ガスをまき散らし、バイクと自転車も多数で一見無秩序にあふれている。
凄い別世界にいる! これがアジア的な喧噪というのだろうか。 乞食から
きれいな服装をした人、インド的な顔からモンゴル系の顔と貧富と人種が
多様である。 建物もひどいバラックからきれいなものまで・・・・・
ホテルはダルバール・マルグ地区にあるロイヤルシンギ。

夕食までの間、杉岡氏と一緒にタメル街、ダルバード広場、インドラチョークを歩く。
女の乞食が多い。 多くの人々の凄い雑踏、埃、のんびり歩いていられない。流れに乗って歩くしかない。物売りもまとわりつくが、さほどしつこくはない。 治安も見た目よりはいいようだった。 徐々にこの世界に慣れてきて、違和感が薄れてきた。

夕食は近くのナングロで中華。 焼きそばとチャーハンがおいしい。
明日はいよいよ標高2800mのルクラである。


12月04日 カトマンズ→ルクラ

400起床、まだ夜明け前で暗い。トレッキングに不要なものはホテルに預ける。
ウイスキーをどうするか悩んだ。 結局、高山病予防のためにも不要と考え、
置いていくことにした。

600空港にエージェントのバスで向かう。 夜明け前なのに、結構な人が活動
を始めている。 暗い国内線カウンター。時代ものの古い台ばかり。犬が寝そべっている。 朝霧が晴れるまで、飛行機は出ないので、待つのみ。

700夜明け。 800霧が晴れ、バスに乗りいよいよ飛行機そばに移動。 20人乗り
と小型である。 ここでまた待機。 時間があるので飛行機をスケッチ。
ひまにまかせてスケッチしたルクラ行きの20人乗り小型飛行機

835離陸。 乗客は我々7名と若い西洋人2名のみ。
910ルクラ着陸。 ここがトレッキングの起点だ。 生憎雲が立ちこめ、周辺の
山岳風景は見られない。 

今晩の宿・ナマステロッジにはいる。 外壁は石造り、内装は松の無垢材。
トイレは水洗、紙は北アルプス同様流せない。 ランチからキッチンクルーが作った食事になる。 

空路で一気に標高2800mまで上がったので、高度順応のため周辺を散策する。
子供達がハローと話しかけてくる。 日本の梅雨時の様な雲が峰々を隠していて、
結構寒い。 広葉樹が色づいていて晩秋のような風情がする。 

高度障害防止のため薬剤ダイアモックスをリーダーから薦められる。 利尿剤の一種で
過去の経験から予防に効果があるとのこと。 利尿効果により新陳代謝が活発になり
高度順応のスピードが速くなるらしい。 予防だからと飲むことにする。
また、水分は一日3〜4L摂取が必要。 
高度障害の目安として、朝晩2回、動脈酸素飽和度測定を開始した。 平地ではこの数値は95〜100程度、この数値が90以下だとかなり酸素が不足状態で高度障害が起き始める。

日暮れ前、ルクラ飛行場からスケッチした。
(今回はボールペンでスケッチし、彩色は水溶性クレヨンと水筆で行った)

ルクラ飛行場からカトマンズ方面の景

当初ロッジということで、ノミ・ダニに悩まされるかと思っていたが、個人用の寝袋が用意されており、ノープロブレム。 その寝袋は羽毛2重でインナーもあり、暑すぎた。
ルクラは電気有りだか、部屋には照明なし。


12月05日 ルクラ750→モンジョ1550 曇天

615キッチンボーイのお茶で起こされ、次に洗面器にお湯が運ばれてくる。
牛で運んでもらう荷を大型ザックにいれ廊下にだす。 小型ザックにトレック中に必要なものだけをいれる。 700〜朝食。トイレ。これがトレッキングの朝の定常パターンである。

750出発。 今日も山々には雲がかかっている。シェルパが先頭と最後尾に一名づつついて、各自のペースでエベレスト街道を歩き始めた。 沿道には紫の花マンシェレが咲いている。 目に映る山村風景がとても新鮮だ。 

1150パグディン直前のロッジの広場でオープンランチ。 小雨に雪が混じる。 風が冷たい。 パグディンではロッジの建築工事が盛んだ。 途中、29名の日本人ツアーが下りてきた。 年輩の姉さん主体の団体だ。 クムジュンまでとか、上はここ4日ほど天候が
悪いらしい。 中に3名ほど(牛に乗った人、おんぶされた人、ふらふら歩いている人)高山病にやられた人を見かけた。 今後、気をつけねば・・・・・

1550今日の宿泊地モンジョ、サミットロッジに到着。 ここはドウドウ川の側で、
川の音が東北の温泉地のようである。 食堂にソーラー利用の暗い照明があった。
今日は成宮氏の奥さんが膝が痛くなって、歩くのがつらそうだった。


12月06日 モンジョ750→ナムチェバザール1310 快晴→曇天

快晴の朝、クンピラ山とタムセルク山が見える。 クンピラをスケッチ。
はじめて肉眼で近くにみるヒマラヤ峰である。 大きい!

モンジョよりクンピラ山とナムチェの台地が見えた

サルガマータ国立公園の入り口管理事務所で、入園料領収書の確認を受ける。
この春まではトレッキングパーミッションが必要だったらしいが、不要となったらしい。

ドウドウ川のつり橋を渡ると、いよいよナムチェへの高度差600mの登りが始まった。
高度順応のためには、なるべくゆっくり登るのがいいらしい。 足を痛めている
成宮氏の奥さんを先頭に、ビスターリに登る。

940 クスムガングル6370mが見えたのでスケッチ。

ナムチェの登りから見えたクスムガングルである

1000 標高3000m地点でヌッツェ、エベレストが姿を見せた。スケッチだ。
思った以上に大きく見えた。 1015 標高3260m地点の松林の間から
ローツェが入ったエベレストが大きく見えた。ここは展望地としていいのだが、
皆さんのウンチ場となっているらしく、臭いがきついのが難点。

最初に肉眼で見たエベレストの雄姿! 想像以上に大きく感じた

1200 標高3300mで休む。 もらったキャラメルを食べていたら、右奥歯の金属片が
とれてきた。 煙草がおいしいので、高山病は大丈夫、手のむくみもない。
(富士山では煙草がまずかったし、日本の3000mでは手がむくんだのに)

1310 小雪が舞っているナムチェバザール・サクラロッジ到着。
なかなか大きなロッジ村で、エベレスト街道トレッキングの中心地的風情がある。
午前中はいい天気だったが、寒い天候に様変わりしてしまった。
中心地だけ有り電気okで、部屋にも照明があった。 4Fの展望の良い部屋で
ありがたいことに同階にトイレ(水洗)がある。 利尿剤と大量の水分を摂取しているため、
夜中おきて小便する回数が2から3あるので、大助かりだ。

周辺散歩。 郵便局にいってポストカードをカミサンに出してみる。閉まっていたが、
12ルピーの切手を貼りポストに投函。(12/20到着)
チベット仏教のゴンパを拝観。拝観喜捨5ルピー。
みやげ店街では珍しいものだらけ。 ノースフェイス、ミレー等のブランドコピー
品(ザック、衣類)が氾濫している。 フリースのインナーシュラフなんか欲しく
なるがやめる。

1700 ロッジの窓からコンデリ山6187mがクリアに見え始めた。大きい!間近!
山までの水平距離が約3kmで、高度差が約3kmだから、仰角が大きくなるわけだ。 
この大きさは日本では味わうことが出来ないものだ。これがヒマラヤの凄さかな。
コンデリをスケッチ。大きすぎて全体を入れることが出来なくなってしまう。
どうも縮小して書くことが俺は苦手。 今回ははがきサイズのみ持参だったが、
大きい画用紙が必要だったみたいだ。

サクラロッジからのコンデリ山 本当に大きい! 中心部だけの絵となった

夕食まで今日のスケッチの彩色を試みる。 スケッチ時の印象の光景とその色
を思い出すのは、記憶力が後退している身には難しいことだ。

ここまでの行程は、川沿いのなだらかな道の後、急坂を登り、山岳パノラマの盆地に至るところが、
日本での上高地から涸沢のルートに似ている気がする。
成宮氏の奥さんの体調が不良となり、ランチ、夕食とも食べられず、一同大丈夫か心配する。


12月07日 ナムチェバザール800→キャンヅマ1200 快晴→曇天

窓に霜が降りている、路上の水は氷結している。今季、浅草岳以来の霜である。

朝焼けの写真を撮りにゴンパ近くの丘にいく。コンデリ山、カンチェンボ山、
タムセルク山、クスムカングル山、アマダブラム山がよく見える。タムセルクと
カンチェンボの朝焼け写真を取る(うまく写ってなかった)。
カンチェンボをスケッチした。 この丘は建材である石の採取場であるらしい。
755 キャンヅマに出発。 凄い快晴である。 成宮氏の奥さんの体調も持ち直し、
彼女を先頭に丘越えの道を行く。 

ナムチェの丘から、朝焼けのカンチェンボ

825 標高3540m地点で休み、鹿島槍そっくりな姿を見せているタムセルクをスケッチする。 
トラバース道を辿るとエベレスト、ローツェ、アマダブラム、タウツェのパノラマが目前に広がる。 
雲一つ無く、素晴らしい。 双眼鏡でイエローバントを確認。
パノラマすべてをスケッチするべくボールペンを取るが、アマダブラムとタウツェが入らなくなる。

キャンヅマに行く途中から見たタムセルク山 鹿島槍そっくりな双耳峰である

ヌプツェ、エベレスト、ローツェのパノラマ

1200 赤い実をつけた木、ダケカンバ、シャクナゲのある斜面に今日の宿、アマダブラムロッジが
あった。 見晴らし良好。 ランチ。 一軒家で照明なし、トイレは野外。

1400 スケッチの彩色をする。 山には雲が広がり、小雪が舞い落ちる。

2025 夕食後、満天の星を見る。 カシオペア、天の川、ヒマラヤの星空。
2400 小便で再度、満天の星を鑑賞。 オリオンがわかる。


12月08日 キャンヅマ800→タンボチェ1250  曇り

今日はいったん下降し、その後急坂を登ってタンボチェの丘に至る行程である。
谷底におり、吊り橋を渉るとプンギである。 ここからナムチェの丘が望める。
木々と沢をスケッチしてみる。 木々はどうもうまく表現できない。

1250 標高3860mのタンボチェ到着。 曇りなので展望もなく、寒々しい。
ロッジは今日までの内で、設備的に最低。 トイレは専用テントを設営。

見晴らしの丘には加藤保男の慰霊碑がある。 晴れていれば凄いパノラマが得られそうな丘である。
この地方最大のゴンパを拝観する。 少年僧たちの勤行を見学した。
とてもとても寒く、真冬の葬式風情であった。

夜、小雪が積もった。約1センチ程。 寒いので羽毛服で就寝。
2330 小便時、凄い満天の星空を鑑賞。 雪と星で明るい夜だ。

プンギから見たタンボチェの丘と渓谷、カンバ林


12月09日  タンボチェ830→パンボチェ1130/1330→タンボチェ1545 快晴

600見晴らしの丘に行き、快晴のパノラマを味わう。回りを山々に囲まれて、まるで
北アの雲ノ平に似ている。 カメラに収めたが相変わらずうまく写ったものがなかった。

今日はエベレスト街道で最奥の定住村パンボチェ村までのピストントレッキングである。
標高は最高で4000m。 これまで落伍者もなく何とか、全員でここまでこれたことに感謝だ。
今回のサポートシェルパのゾンバさんの家がパンボチェにあるので、ゾンバハウス
が最終目的地となった。

パンボチェは結構大きな集落であり、ゴンパもある。 ゾンバハウスは石造りの2階屋で
一階は土間の牛小屋。 2階が食堂兼キッチン兼寝室兼の部屋である。
2階で茶を頂き、ゆでじゃがいもをごちそうになった。 この辺の畑は大部分じゃがいも
畑らしい。 
1330 もうこれ以上進むことはない。 戻るだけだ。

パンボチェから見たタンボチェと僧院、コンデリ山 

1545 昨日とはうってかわって、陽光で暖かいタンボチェに戻った。
ネパール語に堪能な日本人が来ていた。 また話好きなスイス人男性がジリから
きていた。日本語がうまい。67才とか、来月はギアナ高地にいくらしい、
非常に活動的なガイである。

今晩も満天の星。羽毛服を着て寝る。


12月10日 タンボチェ820→クムジュン1255  快晴→曇り
昨夜は最高に冷えた。 今朝も快晴で山々がよく見える。もう帰路に入る。

早朝 タンボチェからみたキャジョリ山

820出発→1125サナサで茶。 サナサからはダケカンバの中の沢的な道を急登し、
クムジュン村標高3800mにでた。 背後にはクンピラ山がドーンとそびえている。

1255 ヒドゥンビレッジロッジに到着。すぐランチ。

1500 この時間になると、雲が出て日がなくなり、急激に寒くなる。
する事がないので、3階の食堂から村をスケッチしてみる。
3000m以上での宿泊は今晩が最後となる。 明日からは2800mなので、もう利尿剤の服用と
酸素飽和度のモニターは終了だ。

今日も満天の星。

ロッジ食堂から見たクムジュン村の家並み


12月11日 クムジュン750→トクトク1600 快晴

朝ようやく描くことが出来たアマダブラム山

クムジュンの丘からのパノラマは素晴らしかった。
タウツェ、ヌプツェ、エベレスト、アマダブラム、タムセルク、コンデリ。
ここがこの旅で一番の山岳風景を与えたような気がする。 写真に撮ったが
オーバー気味でうまく写ってなかった。 今度からいいところでは、露出を変えて
撮ることが必要である。
山岳風景を堪能する目的で有れば、ここクムジュンの丘で十分である。

今日は土曜日なのでナムチェバザールでは定例の市が開かれていた。
凄い雑踏で日用品、食料が売られていた。 チベットからは中国の衣料を売っていた。
チベット人の衣装、髪型はナムチェ付近の人たちとはまた異なり、見た目汚い感じで
インパクトがあった。

谷底の道にゆっくり下降する。 今日の朝から、自力で下りられない程では無いが、杉岡氏が下痢で
体調不良らしい。 最初にエベレストを見た地点で最後の見納めをする。

吊り橋を渡ってから少し行った河原でランチ。 陽光当たり暖かく、空気も濃い。
約1000m下りて、もう安心だ。 タバコもうまい。

谷沿いにトクトクまで歩く。 上と違って緑が濃く、野菜が植えられている。
菜の花もあり、暖かだ。 今日も満天の星。


12月12日 トクトク750→ルクラ1430  快晴

吐き気、下痢で体調不良の杉岡氏は自力でしっかりした歩調である。
今日も快晴で、暖かく、エベレスト街道・ビスターリトレックそのものである。
最後のトレックをかみしめるようにゆっくり歩く。

1145 チェプロンのロッジでランチ。 食堂には鳥海山のポスター写真が飾って有った。
1320 常緑樹の大木が街道筋にある。
1430 ルクラ・ナマステロッジ到着。 今日は周辺の山々がクッキリ見える。
1530 ティタイム 缶ビールで乾杯。 あまりに久しぶりなので非常においしい。

夕食後は現地サポート隊とお別れ打ち上げパーテイだ。 チャイとロキシーをのみながら
、シェルパの太鼓に合わせ、地元民謡とダンス。 日本民謡も披露する。
会津磐梯山→花笠音頭→東京音頭→炭坑節・・・・。我々も見よう見まねでダンスに加わる。 
圧巻は14才の少女二人のダンスと歌であった。 恋の掛け合い歌らしく、延々一時間以上は
続いたと思う。 最後はみんなで肩を組み、シェルパステップダンス。
これでお開きとなった。 久々のアルコールはおいしかったし、交流も楽しかった。

今日も満天の星。 明日はカトマンズだ。


12月13日 ルクラ→カトマンズ  快晴

815 サーダーからカタ(旅の無事を祈る長布スカーフ)をプレゼントされ、お別れ。
空港に行き搭乗手続きだ。

カトマンズからの飛行機は900に到着したが、セルモーター系の故障でもどれない。
整備員がカトマンズからきて、搭乗可能となったのが1250。 1300離陸した。
1330 カトマンズ空港に到着。 もうカトマンズショックは無い。
山の静かな世界から喧噪の街に帰還した感じであり、その落差に驚く。

杉岡氏もカトマンズに入ったら、かなり回復した感じである。
ホテルからすぐナングロに行き、ネパールランチに生ビール。カレーとインディカ米が
とてもおいしい。 約一時間ほど市街を散歩する。 久しぶりの雑踏で疲れた。

夕食は日本料理店バンバンで獅子鍋を食べた。同店には年末マナスル登頂を目指す
群馬県の登山隊がいた。 久々に風呂に入って寝る。


12月14日 カトマンズ観光

ツアーリーダーの案内で田中夫妻と共にスワヤンプナート(モンキーテンプル)と
パタンの寺々をタクシーで回る。 

ランチは近くのカレー店でインド料理を食す。 おいしいので、カレーのもとをおみやげにすること
に決めた。

昼寝後、街におみやげ買いに出かけた。 正価が貼っていないので、交渉で値段を決めねばならない。 茶、バッグ、Tシャツ等を購入。

夕食はチベット料理店。もう満腹。 帰りは石部氏の計らいで初めてリキシャに乗った。


12月15&16日 カトマンズ→バンコク→成田

1100 カトマンズ空港に向かう。 じっくり街の生活をバスから凝視する。
1420 離陸。 約2週間いたネパールの大地から日本の現実社会への帰還の一歩。
1825 バンコク着 ネパールから見れば凄い文明国、最新設備、あふれる商品。 
2350 バンコク離陸。 日本時間では150である。いよいよ日本が迫ってきた。
630 機内から左側に暗い富士山が見え、右側には日の出の光線。 
650 成田着陸
730 到着ロビーで同行者にお別れの挨拶。 カミサンと澤村夫妻が待っていた。

4.終わりに
   
約2週間のツアー参加によるネパールトレッキング旅行だった。
ツアーは価格が高いが、高山病対策などしっかりしており、面倒なことをすべて代行してもらっているので、旅の楽しみだけに専念できる手軽さと安心感があった。 また、ツアーリーダー、同行者にも恵まれて楽しい新鮮な旅であったことは間違いなく、リーダー石部氏、杉岡氏、田中氏夫妻、
成宮氏夫妻、サポート隊に深く感謝したい。 

   ネパールは日本から見れば物質的に貧しく、別世界にタイムスリップしたような
   新鮮な光景(ヒマラヤの山の大きさと人々の暮らしの多様性)が広がっていた。 
   ネパール内でもカトマンズの都市部とエベレスト街道の山村間にも大きなくらしの
   落差があり、山村ではすべて人力と家畜で、農業、家の建築、荷役をこなしていた。       まるで、明治時代の日本の農村に相当するのだろうか?

肉眼で見たネパール人の質素な暮らしから、
この日本のように贅沢にエネルギーを消費し、必要以上の物に取り囲まれ生活していることが幸せなのか? どう今後いきるべきなのだろうか? 
色々考えさせられ、現在も自分なりの回答を模索している。
   
   こんな思いにさせた今回の旅は非常に刺激的であり、ネパール病にかかって
   再訪したくなることへの恐れを今感じている。(99/12/20)
  
        
                            以 上

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